本来の、ありのままの自分の見つけ方とは?サクッと探してみました。


LLPの新里百合子です。

30歳、パート主婦、一児の母。結婚歴はもう3年になります。そんな私が「本来のありのままの自分の見つけ方とは?」を勢いでコラムのタイトルにしてしまったので、今回はサクッとありのままの自分を探してみたいと思います。

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ありのままの自分はどこに?

小さい娘さんをお持ちのお母様方なら、大ヒット映画アナと雪の女王の「Let it go」を、もう耳がタコになるほど聞いたと思います。「ありの~ままの~」と歌いながら本来の自分に変化していくエルサの姿に、日々地味な母親仕事をこなし変身願望を隠し持っているタイプのお母様方は激しく共感などしたかもしれません。

ですが、本来この「ありのままの自分」とは、自分自身が実は一番良く分かっていないもの。多くの人は、幼少期から周囲に言われた言動などを元に、それをどう受け取ったかなどを含めて勝手な自己像を創り上げ、そこに年齢が重なるとその思い込みによる自己像が次第に強固になっていくといいます。なるほど。

このサイトのサブタイトルは、「競わない、比べない、焦らない・・・ありのままの自分が見つかるサイト」です。さて、サイトがオープンして数ヶ月、私はありのままの自分を見つけられたのでしょうか。

今回このコラムを書こうと「ありのままの自分」などでネット検索をかけてみたのですが、少なくとも検索最初のページのコラムやHPには、心に響く文章がありませんでした。当たり障りの無い定義や解決方法のみで、心理学の教科書に書いてある文章の丸写しみたいな感じがしたからです。

私としては何かしらの体験談や個人の考えがより深く反映されている文章の方に共感したり興味を持ったりするので、今回も自分の「ありのままの自分探し」体験談を書いてみようと思います。

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「ありのままの自分が見つかるサイト」を運営しながらも、そんな毎日毎日ありのままの自分を探しているわけにもいかない1児の母である私。

実は、ありのままの自分探しはサイトオープン時からサボっています。(問題発言?)

子供を起こして身支度をさせることから始まる朝、仕事がある日はそれこそ子供が寝るまでノンストップで動いているので、寝付いた後はついついストレス解消に海外ドラマ視聴に走ってしまうか一緒に寝てしまうか。ありのままの自分は定義できないのに、今視聴している「ラブ・リーガル」(元モデル美女の魂が巨体の女弁護士の身体に?新感覚のリーガル・ラブ・コメディです)のおかげで英語の法律用語にばかり無意味に詳しくなる始末。Obejection! your  hounor!(意義あり!判事・・・)と叫んでみたい。

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というわけで特に自分探しは怠っている毎日ですが、比較的自由に気の赴くまストレスフリーに生活しています。嫌な事が無いわけでも、毎日が薔薇色ハッピー☆なわけでもありません。自己嫌悪に陥る失敗や、ああしようこうしなきゃ的な反省は沢山あります。やることもいっぱいある。年賀状作成にお掃除、子供の相手に子供の相手しながらのお料理。ママのタスクは積み上げればきりがありません。

しかし、言い訳はいけませんよね。有名な哲学者であるソクラテスは石材店の職工で、ジャンージャック・ルソーは家庭教師、ニュートンは大蔵省造幣局で働いていたというではないですか。なんと他の哲学者の中には会社の経営者や、裁判所の判事までいたそうです。そう考えると、哲学って今でいう副業みたいなものだったんでしょうか。セカンドジョブ?それなら私にも出来ない事無い筈です。

本当の自分、ありのままの自分・・・うーん、どこにいるの?今、肉体はここにあって、タイプしている私の指はパソコンのキーボードの感覚を脳にきちんと伝えている。ふむ、五感に問題は無い。忙しいから自分ってなんなんだろう、とふと立ち止まることも無い。あ、立ち止まらないといけないのか。いや、そもそもありのままの自分を探すことを本気で自分が求めているの?いや、「別にどうでもいい」と思っているはず。じゃあ、自分って何?と人に聞かれたら?えと、母、主婦、妻、パートしてる事務員、ライター、誰かにとってはママ友・・・で、ありのままの自分はじゃあどこなの?うーん、いや、たぶんどれも私。

あ、でもちょっと待って、分かったかも。結構昔、このサイト立ち上がる前、「別に何者じゃなくても周囲に愛されている自分」を確認してからむやみに自分探しや自分ではない誰かになろうとするのを止めたんだった!!

ここに至るまで随分頭を使ったけれど、そうでしたそうでした。特に娘。別にすっぴんだろうが化粧が濃かろうが、何者でもない私の事を凄く愛してくれている。(の感じる)。だから、家族以外や大好きな友人とか、その他大勢に愛される必要性がなくなった(と悟った)のでした。

娘が赤ちゃんの頃から、愛情を表現してくれるようになるまで(そう私が感じれるまで)、の一定期間、そういえば自分探しに奔走していたような気がします。ホギャホギャないてるだけの時はなかなか感じられなかったのかな。仕事も無く、お小遣いを貰う生活。世間から置いてきぼりになった気がして、子供を延々と抱っこしたりして日が暮れる生活。自分探しに奔走していたのは、その時期と、後は「この人に認められたい!」と思って背伸びしていた時期とか、後はとにかく何者かになりたかった独身時代の一時期でした。自分に自信が無かったのか、ビジネス本や成功哲学本を読みすぎていたのか。

長くなりましたが、ありのままの自分を探してみた結果、私個人は、別に今の自分がありのままで、エルサの様に劇的に変身しなくてもいい、と思っているという事が分かりました。無論素敵なドレスは沢山着てみたいですけど・・・。

後は、30歳になって図々しくなり、別に他人様の思うような生き方をしなくてもいいや、と思い始めているというのもあるでしょう。(おばさん化・・・?)娘が大好き、楽しいコトも大好き、真面目な本も好き、忙しくしているのが好き、という自分。隠れている本性なのか何かはあるのかもしれませんが、「これは本来の私じゃない」と思いながらやっていることは何一つないです。

結論

つまり、今の自分が、「本来の、ありのままの自分」でない自分かもしれないという違和感を感じないと、本来の自分を探す必要は無いわけです。例えば、現実の自分と理想の自分に大きな乖離がある場合は人生が少しだけ苦しい時期かもしれない。「本当の私はこんなものじゃないはず」「まだまだイケルはず!」と感じてしまうんですよね。若い頃は「こうでないといけない」という固定観念か固まりやすい時期でもありますから、当時自分が認めた人生のモデルコースを進んでいないと焦ってしまうこともあります。(でもそうしたら私なんて、自分の初めて書いた脚本が日米共同出資で映画化されていないと、人生の目標は達成されていないことになってしまいます。)

ですが、年を取るにつれて、年々人生の理想というのはモデルチェンジしていくものなので、現在違和感を感じながら生きていても、悩みながら前に進んでいけばふっと肩の力が抜ける瞬間が訪れるはず。

「何のための理想の自分なの?」「理想の自分になってどうしたいの?誰かに愛されたいの?」などの問いかけをすることによって、現在「ありのままの自分」ではいけないと自分にダメ出しをしている自分の深層心理が見えてくるのかもしれません。